クレイジーコング
先週の中頃から妙に「クレイジーコング」(「ドンキーコング」じゃなくて)が妙にやりたくなって、秋葉原のトライタワーに行ってみたらなんとびっくり、偶然にも「クレイジーコング」がおいてあって、プレイすることができたんです。
で、その場ではそれで満足した気分になったのですが、その後どうにも物欲の虫が騒ぎ始めて、気がついたら
基板買っちゃってました。しかも「クレイジーコング パートII」と合わせて2枚も。バカですねー。アホですねー。
というわけで、まずは「クレイジーコング」
基本的に内容は「ドンキーコング」と同じです。が、メーカー名が完全に消されてたり、全体的に色がおかしかったり、キャラ単位で色化けしてたりと、粗悪複製品のかほりがいやというほど漂っていて、それこそが80年代のゲームセンターのかほりそのものな感じなのです。まだゲームの著作権対応がいい加減だった頃の時代。任天堂の山内社長からして「遊び方にパテントはない」と豪語していた時代。良くも悪くも牧歌的な、そういう環境の中で、自分のゲーム人生は形成されていったのだなぁ、としみじみ思ったりもします。といってもコピー製品そのものを容認する訳ではありませんよ。あくまで黎明期の混沌としたゲームセンターの雰囲気が、自分のゲーム体験の根底にあった、というだけで。
むしろ当時はオリジナルの「ドンキーコング」に出逢うことのほうが少なかったんですよね。私個人の経験では、当時オリジナルを見たのはたくさんあったゲームセンター/ゲームコーナーの中でたったの1件でした。むしろジャンプ音が「ホヤッ!」じゃないことに違和感を感じるぐらい、このゲームに関しては「クレイジーコング」の方が圧倒的に普及してました。
という状況下にもかかわらず、当時の私も何故か「ホンモノは『ドンキーコング』で、このゲームはニセモノ」ってちゃんと分かってプレイしていました。単にマニアな子供だっただけかもしれませんが、タイトルのアルファベットを読めたわけでもないのに、オリジナルの「ドンキーコング」に触れたことがなかったころからちゃんと分かってた記憶があって、今思うとなんだか不思議な感じがします。もしかしたらG&W版の「ドンキーコング」を持っていたせいかもしれませんね。
それはさておき、一方の「クレイジーコング パートII」
こっちはなんと、オリジナル要素のデモ画面がついています。アトラクトデモの中でなぜかこのシーンだけ、効果音とちょっと怖いBGMが鳴るようになっていて、人気のない旅館のゲームコーナーでこの曲が流れるとものすごく不気味だった思いでがあります。檻が開いたとき心の中で「さぁ、大変どうするどうする?」なんてナレーションしてたりして。
あとから知ったのですが、このシーンの意味は「パートIで捕らえたコングが逃げちゃってパートIIになった」的な意味合いがあったそうで、目から鱗が落ちました。
内容はパートIとほとんど一緒(2ループ目に若干25mのマップが変わったりする)ですが、色使いが「ドンキーコング」に近くなっていたりして、若干「パチもん風味」は薄れている感じです。改善されたとはいえ、逆に「パートI」の味はなくなってしまった感じですね。複雑な思いです。
50mの面(コンベアーカレーライス面)がプレイできるのはいまだにAC版と「ドンキーコング64」に収録されているミニゲーム版だけなので、個人的にはその面が手軽に出来るだけでも「基板買って良かった」と思っております。
「ドンキーコング」といえば、個人的にはずーっと前からその生い立ちがよく分かっていなかったところがありました。任天堂と池上通信機の関係とか、そもそも本当に宮本茂さんが作ったゲームだったのか?とか「クレイジーコング」は任天堂のライセンスを持っていたとかいなかったとかどっちが正しいのか?とか。
その辺の事実関係に関しては、Wikipediaに詳しく書いてありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B0
ゲーム本「それは『ポン』からはじまった」にも記載されてるんでしたっけ?(まだ途中までしか読んでないや…)。なるほど、これでスッキリしました。インターネッツってすごいですね。ドンキーコングをめぐるこうしたゴタゴタが、任天堂に「遊び方のパテント」という概念をちゃんと考えるようになったきっかけなのかもしれないですねぇ。